大判例

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東京地方裁判所 昭和23年(行)77号 判決 1949年2月24日

原告

坂井満

被告

右代表者

法務総裁

"

主文

原告が日本の國籍を有しないことを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、主文第一項と同趣旨の判決を求める旨申し立て、その請求の原因として、「原告は大正十年(西暦千九百二十一年)十一月六日亞米利加合衆国カルフオルニア州において、日本人を父母として出生し同国の国籍をも取得した日本人で昭和十四年十一月自己の志望に依り日本の国籍を離脱してこれを失つた、その後東京農業大学に在学中、昭和十八年四月初頃同大学敎務課長訴外山形宇之吉から、「米国の国籍は不利であるから日本の国籍を囘復するよう」に勧められたが父母兄弟皆米国に在る原告は、帰米の志強くごうも国籍囘復の意思がないことを答えたところ、同大学の敎官訴外伊集院少尉から「原告の国籍問題は重大である陸軍士官の命令には絶対服従しなければならない、国籍囘復の命令に従わなければ原告は放校されるばかりでなく、他の学校への入学に妨げとなる」と言われ、ある時はその不服従のために原告は同訴外人に面部を殴打されたこともあり、更に敎官訴外谷川大佐からも「原告は国籍を囘復しなければ登校を許されない、又世間から種々の圧迫と危険が加わるであろう」などと言われ遂に右谷川は右伊集院に対し、原告の国籍囘復に必要な手続を速にせよと命じたので、右伊集院は、昭和十八年六月十四日原告を無理に自動車に乘せて、東京都板橋区役所に連行し、かねて原告から取り上げてあつた原告の印章を押捺して作成して置いた原告名義の日本国籍囘復申請書を、原告の意思に反して、同区役所経由で内務大臣に提出したゝめ、同年七月二十三日内務大臣から右国籍囘復の許可があり、その結果=東京都板橋区小竹町二千三百六十三番地に原告の一家創立がなされ、現在同都目黑区三谷町三十六番地に転籍したことになつている。しかしながら、原告の右国籍囘復の申請は原告の意思に反し、第三者が原告の申請名義を冒用して為した無効の申請であるから、この申請に対して為された右国籍囘復の許可もまた当然無効である。仮に右申請が原告によつて為された申請であるとしても、前記のように圧迫強制により原告が自由意思喪失の状態において為したのであるから、当然無効の申請である。また仮にさうでないとしても、右申請は強迫による申請であるから取り消し得るので、原告は本訴状の送達によつて、被告に対し、右申請取消の意思表示を為すものであるから、右の許可は、申請がないのに為された無効の許可になると言わなければならない。以上いずれにしても、右許可は無効で、原告は日本の国籍を囘復したものではなく、これを有するものではないからその旨の確認を求めるため本訴請求に及んだ次第であると述べ、立証として甲第一号証ないし第四号証、甲第五号証の一ないし三、甲第六号証の一、二を提出し、証人谷川幸〓の証言及び原告本人尋問の結果を援用した。

被告指定代理人は、原告の請求を棄却するとの判決を求め、原告主張の事実中、昭和十八年六月十四日原告名義で原告の日本国籍囘復の申請があつたこと、原告の右申請に対し、同年七月二十三日内務大臣の許可があり原告が一家創立を為したことになつている事実はこれを認めるが、右申請が原告の意思に反し、第三者が原告の申請名義を冒用してなし、又は右申請につき原告に対し圧迫強制を加えこれが原告の自由意思喪失の状態において為されたと言う事実は否認する。その他の事実は知らないと述べ甲第一ないし四号証、第五号証の一、第六号証の一、二の各成立を認め甲第五号証の二、三の成立は不知と陳述した。

理由

(一)  昭和十八年六月十四日付内務大臣宛原告名義で原告の日本國籍回復許可の申請が爲され、右申請に対し同年七月二十三日内務大臣の許可があり、これによつて原告が日本の國籍を回復し、その後原告が一家創立を爲したことになつている事実については、当事者間に爭のないところである。

(二)  成立に爭のない甲第一号証、第二号証、第四号証、第五号証の一に被告本人尋問の結果を合せ考えると、原告は、大正十年、(西暦千九百二十一年)十一月六日、亞米利加合衆國カルフオルニア州イムベリアル郡ブラウレイ市において、本籍廣縣蘆品郡福相村大字福田三百二十七番地屋敷父酒井與平母同カネヨの長男として出生し同國の國籍をも取得した日本人であつたが、昭和十四年十一月十七日自己の志望により日本の國籍を離脱してこれを失い、これより先同年八月十日から日本に居住し、先ず日本語を勉強するため一年間日米学院に在学し、昭和十六年四月東京農業大学予科に外國人として入学し、昭和二十一年九月同大学農学部農学科を卒業した事実を認め得る。

(三)  そこで、昭和十八年六月十四日付内務大臣宛原告名義をもつて爲された原告の日本國籍回復許可の申請が原告の意思に反し、第三者が原告の申請名義を冐用して爲した無効の申請であるかどうかの爭点について檢討して見るに、成立に爭のない甲第五号証の一、第三者の作成に係り方式及び趣旨から見て眞正に成立したと認むる甲第五号証の二、三に証人谷川幸〓の証言及び被告本人尋問の結果を綜合すれば、原告が東京農業大学に在学中、当時同大学軍事敎官陸軍大佐訴外谷川幸〓から命を受けた、当時同大学専任軍事敎官陸軍少尉訴外伊集院光秀(その後今次戰爭により硫黄島にて戰死)は、原告に対し、原告が日本の國籍を回復することは軍当局の命令でありかつ又右大学の要請であるから、右回復の手続をしなければならないと言渡し、原告において國籍を回復する意思がごうもないのにかかわらず、断呼として強制的に右回復の手続をなさしめるため、昭和十八年六月十四日、原告を自動車に乘せて東京都板橋区役所に連行し、かねて原告から取り上げた原告の印章を押捺して作成して置いた原告名義に係る原告の日本國籍回復許可申請書を、原告の意思に反して、原告の面前で、同区役所を経由して内務大臣に提出した事実を認めることができるが、第三者である訴外伊集院個人が、原告の不知に乘じて、原告の申請名義を冐用した事実を認めるに足る証拠はないから、此の点に関する原告の主張は採用し得ない。

(四)  次に原告名義の右申請が、原告によつて爲された申請であるとしても、圧迫強制により、原告が自由意思喪失の状態において爲したのであるから当然無効の申請であるかどうかの爭点について考えて見るに、前段掲記の証拠及び成立に爭のない甲第一号証、第六号証の一、二をそう合すれば日米開戰後日本軍部に於てはアメリカ合衆國の國籍のみを持つたまま日本に在学中の二世の学生に対し日本の國籍を回復せしむる方針を定め、各学校配属の軍事敎官にこれを指令した結果、東京農業大学の配属將校谷川大佐はその旨を学校当局に傳達し、学校当局もこの方針に即應して、今後日本の國籍を取得しない二世学生の在学を認めない方針をとることに決したため原告は、昭和十七年四月頃東京農業大学敎務課長訴外山形宇之吉から、「日本の國籍を回復して日本人となつてはどうか」と勧告せられたが原告が日本に居住するに至つた目的は四、五年間日本語を修得するにあり、そのため日本に在住中徴兵適齢となつて兵役に服するようなことがあつてはならぬと考えてわざわざ日本の國籍を離脱したほどであつたので、祖父母は廣島にいるが元來父母兄弟皆米國にいる(現在はテキサス州フアー近郊に所在する百五十エーカー一画の土地を耕作しようとしている)原告は、いずれは帰米の意思であるからその必要はないと答え、同年九月頃に至り原告は再び同訴外人から「外國人としての卒業証書は此の際不利であり、また何の役にも立たないから日本の國籍を回復するよう」に勧められたが、前記同樣の理由でことわつた、同月原告は右大学の学部入学を落第し、昭和十八年四月再び同学部入学を志したとき、訴外谷川から國籍回復を勧められたがことわつたので同訴外人に叱責されたが当時同大学のみならず他の学校に在学中の二世学生はほとんど全部國籍回復の手続を完了したことを軍当局から聞かされた谷川大佐はしよう慮のあまり原告の國籍回復を急ぎ原告に対する態度も漸次高圧的かつ執ようとなり原告はその後性質暴な訴外伊集院から「配属將校の命令は軍の命令で絶対的である、早く國籍回復の手続をせよ」と言われ、数日後再び訴外谷川から「國籍を回復しなければ敎練檢定がとれず学部へ入学させないぞ」と言渡され、その後更に訴外伊集院から「回復手続を早くしないと又落第するぞ、二度落第した者は退学させられるのだ國籍を回復しなければ他の学校でも入学させないことになつているのだ」と言われ、また野外敎練に際し訴外谷川から「軍の指令で、國籍を回復しないものは敎練に出られないのだ、帰れ」と命じられたので、原告が口答えをしたところ、訴外伊集院は原告を離れた所に連行して殴打し、右野外敎練終了後訴外岩淵少佐は原告に対し、「國籍を回復しないなら君は米國人だ、敵國人としての待遇を受けるはずだ、米國人なら米國人として行くべき所があるはずだ」と言い、更に傍にいた訴外伊集院に対し、國籍回復の手続を調べて早くおわらしてしまえと命じたので伊集院少尉は、その翌日敎室で聽講中の原告を呼び出し自動車に乘せて東京都練馬警察署に連行し、この時原告の印章を取り上げて同署から原告の居住証明書の交付を受け、その二、三日後である同年六月十四日、原告は再び同訴外人のために自動車で同都板橋区役所に連行され同所で伊集院少尉の手により原告の意思に反し(三)で予定した通りの國籍回復手続がなされたのであるが、これまでの間原告は、國箱回復に関し同訴外人等の原告に対する圧迫に堪えて來て見たものの、力と賴む両親兄弟は米國にいるので、事ここに至つては同訴外人の強制に抗し得ないで前段認定のように、同日原告の日本國籍回復許可申請手続が爲された一連の事実を認定し得る。以上認定の事実によれば、約一年間勧告説得叱責等あらゆる方法を試みたにかかわらず原告の承諾を得るに至らなかつたため遂に原告自らの意思に基く申請手続がなされることを断念した谷川大佐、伊集院少尉等が原告の意思に反することを知りながら、当時國内に絶大な支配力を揮つていた軍当局の威力及び学校当局の権力を背景として強引に原告名義で手続をする。決意を定め右申請手続をなすに至つたものであるから原告個人の力をもつてしては到底これを断念せしむることは出來なかつたのであろうし、又かかる事態に立至つた以上、これを阻止するに於ては学業の中断はもとより居住旅行配給等に関しても敵國人として極度の困難に遭遇するであろうことを原告が予想し、遂に反抗する力を失つて自己名義の申請手続がなされるのを傍観していたのも無理からぬところといわざるを得ず、原告は軍及び学校当局の方針と意思を代表する谷川、伊集院等の強制に対し抗拒不能の状態に陷つていたものと言つて差し支えない。即ち原告名義の=國籍回復許可申請は原告の面前においてなされたものではあるが、それは右谷川伊集院等の強制により、原告が全く意思の自由をうばわれて爲したものと認めるの外はなく、從つて右申請は唯形式的存在を有するに止り、実体上に在つては全然無効の申請と断ぜざるを得ないから、此の点において原告の主張は理由あるものと言うべくしかして右のような申請に対して爲された内務大臣の國籍回復の許可は、本來申請なきに爲された許可に外ならず当然無効と言わなければならない。

(五)  五されば原告は日本の國籍を回復したものではなく、これを有すものではないから、その旨の確認を求めの原告の本訴請求はこれを正当として認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九條、第九十五條を適用し、主文の通り判決する。

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